01

20th Anniversary Oneman Live Show

“SOFT LANDING”

2019/04/21(Sun) 日比谷野外大音楽堂

OPEN 16:15 / START 17:00
雨天決行 荒天中止
¥4,320(前売/全自由席)
ペアチケット ¥7560(前売/全自由席)
※中学生以下無料(要保護者同伴)/ キッズエリアあり
※来場者特典あり!

チケット一般発売: 2019年02月02日(土)〜
・チケットぴあ
・ローソンチケット
・e+
・LINE TICKET

LIVE: YOUR SONG IS GOOD

(問)VINTAGE ROCK : 03-3770-6900 (平日12:00~17:00)

02

MESSAGE

from Wataru Kakubari

結成20年。

僕は多分このうち17~18年くらいYOUR SONG IS GOODのライブを見続けている。SCHOOL JACKETSから改名して、最初の2年くらいは見たことはなくて、その2年の間にもYOUR SONG IS GOODの音楽性の変遷はすでに2、3パターンくらいあったらしい笑(この辺りはユニバーサルからリリースしたDVD 3枚組BOXのドキュメンタリーDISCを是非みてほしいです)。

当時はWEBもほぼないので、伝聞でしかなかったYOUR SONG IS GOODのライブをいつも想像しては勝手にSchool JacketsやFruityのイメージで興奮していた。最初のライブは本当によく覚えている。今は無き高円寺20000VでWATER CLOSETの企画だった。

淳君はステージ中央に座って多分ノード(鍵盤)を弾いていて。20000Vで満員のライブだったのでステージ上で座っている淳君はほとんど見えなかった。周りのキッズ達はFruity~School Jacketsのメンバーからなるバンドってのは誰もが知っていて、僕のような気持ちで見ていたろう。つまり興奮していた。あの中の何人もが、いまも多分雑多な音楽を聴き続けているってのは確約できる感覚で、ただ当時は皆狐につつまれる感じだったのも確かで笑。僕も言葉にできない感じで、それは自分にとって未知な音楽だったり、単純に期待したものではなかっただけなんだけど、どこかでやっぱり引っかかり、もっと聞いてみたい、近くで確認したいと思った。

今思うとそこまで未知な音楽ではなく、少しメロウでシカゴ音響系とも言える感じだったんだけど、如何せん当時はパンクやハードコアばかり聞いていたので本当に想像してなかった音だった。そんな中MCも聞き漏らさず、楽器は何を使っているんだろうとか、集中して見て聞いていた。その後渋谷GIG-ANTICや下北沢シェルターでライブを見て、メンバーにもめちゃくちゃ緊張しながら話しかけたりししてくれた。ほんの二、三言。それだけでも本当に嬉しかったし、友達には自慢していたりしていた。当時よく遊んでいた同じ歳の武蔵美のコウ君が学祭にYOUR SONG IS GOODを呼びたいということで、二人で淳君に声掛けた記憶が鮮明にあります。渋谷のGIG-ANTIC。
その時にはYOUR SONG IS GOODは音響系から少し踊れる感じのスカ~ファンク~カリプソサウンドに移行しつつあった。僕はその声をかける時のライブを見て、勝手に何だかFUJIROCKに出れそうだなって思って(笑)、淳君に会うなり興奮して「FUJIROCK出れますよ!」なんて口走っていた(当時20歳)。

若さと無知というのは本当に恐怖でしかない。しかもそれが数年後現実になるなんて誰も思ってなかったわけだったし、そもそも誰もFUJIROCKに行ったこともないし、何か大きなイベントがやっているらしいって感じでしかなかった。今じゃ考えられないくらい情報は届いてなかったし、取りに行ってもなかった笑。そこから仲良くさせてもらって、自分が当時やっていたバンドのライブにもきてくれたりした。ちょうどAIR JAMが千葉マリンスタジアムであった前日には淳君や友達がみんなで僕の家に遊びにきてくれた。とても興奮したし、夢みたいだった。みんな終電を逃したので、朝まで遊んでからAIR JAMに行ったりした。AIR JAMの帰りの電車がBLUE BEARDのタッくん(カクバリズムの名付け親である)と一緒だった。とても楽しく変な2日間だった。憧れの人たちとの距離が一気に縮まって、なんか知らないけど、勝手にいろいろなことが走り出したような気もしていた。この時期、確実に僕の青春時代でしょうね。

そこから9年後。(この9年については僕の初の著書「衣・食・住・音」を読んで見てください笑)

2010年にYOUR SONG IS GOODは初めての日比谷野外音楽堂でのワンマンを開催する。時期的にメジャーレーベルとの契約が終了し、さぁこれからまたみんなで頑張って仕切り直して行こうとする時だった。
YOUR SONG IS GOODは野音でのワンマンはとても似合っていて、素晴らしいライブをして、来てくれたお客さんが相当楽しかったっていうのはもう会場の雰囲気やそれぞれの顔を見ればわかった。またYOUR SONG IS GOODの野音、毎年とは言わなくとも定期的にやりたいなと思った。そんくらい最高だった。

バント、レーベルともに回り道もするし、間違ってしまうときもあるし、それこそスムースではないけれど、僕らなりにとても良い音楽とライブを常に表現できていたんだって胸を張れた日でもありました。また野音でやりたいねと・・。

そこからさらに9年。(ここも僕の初の著書「衣・食・住・音」を読んでみてください笑)

結成20周年というタイミングで、YOUR SONG IS GOODが野音で再びワンマンライブをする。

20年続けることは、どのバンドもそうだけどずっと順調に来ているバンドなんてないと思う。何かしら抱えたり、形を変えたり、内面、外面的な変化をし続けて、一緒に音楽を鳴らし続ける。非常に特殊で特別なことだと思う。続けているバンドメンバーにしかわからない感情があり、続けているバンドメンバーでしか出せない音もある。もちろんベテランだからと言って全部が全部良いわけじゃないし、生み出す音楽が活動歴関係なくかっこいいことが全てだってことはみんなわかっている。

YOUR SONG IS GOODを好きになって18年以上。その間いつだってかっこいい楽曲で踊らせてくれたり、ニコニコさせてくれたり、泣かせてくれたりしながら最高の時間をくれる。そして色々な景色も見させてくれて、体感させてくれる。先日リリースした新曲’’Motion’’がめちゃくちゃカッコいいっていうのも痺れるわけ。最新作がいつだって最高なのだ。だからこその20年。

4月21日の野音ではまた新しい興奮を見つけることになるじゃないかと、今からワクワクしてます。 新しい曲から、そしてこの20年でバンドと共に成長して来た数々の楽曲たちをどかーんと披露してくれます。みなさんニコニコなベスト&レアな選曲で臨むとのこと。全国、世界各地からのお越しをお待ちしております。

角張渉

03

20th Anniversary Album

“SESSIONS”

2019/03/06(Sun) ON SALE

YOUR SONG IS GOOD

品番 : DDCK-1059
価格 : 税込価格¥2,376(税抜価格¥2,200)
レーベル: KAKUBARHYTHM

Track List(全10曲収録)

1. 2,4,6,6,1,64 Number
2. Super Soul Meetin’
3. Mood Mood
4. Boogaloo Super Express
5. A Short Vacation
6. Motion
7. Double Sider
8. Nettai Boy
9. On
10. The Love Song

ショップ別購入者特典

TOWER RECORDS(各店・オンライン)

TOWER RECORDS
(各店・オンライン)

20周年オリジナルステッカーシート
(ご予約済みのお客様も対象となります。)

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ディスクユニオン

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CD+Tシャツセット販売!
YSIG初期(2002)ロゴ復刻Tシャツ

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04

OFFICIAL INTERVIEW

Part 1

『Sessions』発売記念! YOUR SONG IS GOODのメンバー、サポートひっくるめて20年、いや、もっとさかのぼっちゃったヒストリーの蔵出しリレー対談! 第一回は、YSIGの結成時メンバーであるこのメンツでお届けします。

それではホストのサイトウさん、ご紹介お願いします!

YSIGの結成時メンバー

了解しました~~、さっそくいきまーす!

オン・ギター、ヨジザワ ”モーリス” マサトモ! あと、アートワークも担当。はじめて会ったのは大学の1年の時で、隣のクラス。絵がむちゃくちゃ上手くて、プロのイラストレーターでもあります。で、その絵が上手すぎることが原因で、最近だと去年リリースされた7インチ『Motion』のほとんどのジャケットを手刷りすることになってしまった、1000枚以上も!!

同じく、オン・ギター、シライシコウジ! aka 次長。氏が発した練習スタジオでの「そろそろ7インチ出さない?」の鶴の一言が巡り巡って、カクバリズム誕生という逸話があります。ちなみに最近使ってるギブソンSGは、バンド初期のエモ時代のモノで、裏にはATOM & HIS PACKAGEの”PUNK ROCK ACADEMY”のステッカーがしっかりと貼ってあります。

続きまして、オン・ドラムス、タナカ “ズィ~~~~~レイ” レイジ! カクバリズムのNo.1”4つ打ちドラマー”は寡黙にしてギャガーというアンビバレンツなキャラクターの持ち主でもありますが、そんなタナカさん最近は寡黙サイドのフィルターがブっ壊れているのか、新しいドラムセットをオーダーする際に一言も発しなかったとのことです。

この3人とは、少なくとも20年は毎週1回かならず顔を合わせているという、あまり考えたくない状態となっております!

それでは司会進行の松永さん、お願いします!

Part 1 前編

―YSIG20周年おめでとうございます!

一同 ありがとうございます!

―ライヴの定番曲をライヴの勢いそのままのアレンジでスタジオに持ち込んだ新作『Sessions』のリリース、4/21日比谷野音での20周年&2度目のワンマンも控えているということで、ヒストリーを振り返りつつ、現在に至る話をサイトウ“JxJx”ジュンくんをホストにして、メンバーのリレー鼎談で聞いていきたいと思ってます。
 まずはパート1! YSIGの結成メンバーである3人にしゃべってもらいます。このあたりの話はファンにとってはすでに耳タコかもしれないですが、「20周年続いてるバンドの初期話」ってことで新しく興味を持つ人もいると思うんです。そもそも、最初ジュンくんはFRUITYというバンドをやっていて。

JxJx はい。始まりに関してむちゃくちゃかいつまむと、もともとはモーリスと次長(シライシ)が高校の同級生で、あと初代ベーシストのタケオ(マツムラタケオ)とタナカさん(ZeeRay)が高校の同級生。で、僕とモーリスは大学の同級生で。在学中に、僕はFRUITYってバンドをやっていて、モーリスはタケオくんと一緒にNUTS & MILKってバンドをやっていたんです。

モーリス そう。厳密にいうと、マツムラと俺とシライシでやってた昔のバンドは一回終わっちゃってたんだけど、その仲間でFRUITYのライブを見に行ったら「俺らも、もう一回スタジオ入らないか?」 って感じのノリになって、そこにレイジくんも加わって活動を再開したのがNUTS & MILKです。

JxJx そのとき、ライヴで次長に初めて会った。たしか、次長はヒゲが生えてたレアverだった記憶があります(笑)。

シライシ 高円寺の20000Vですね。

―そこから意気投合してJxJxとNUTS & MILKで一緒にやろうっていう展開?

JxJx そうですね。最初は、それぞれ自分のバンドもあったんで、セッションバンド的なイメージでした。モーリスとは学校でも仲よかったし、パンク・ハードコア以外の音楽の部分でも、特にスカとかの話で、結構盛り上がったところもあって。そういうところから、それぞれレギュラーでやっているバンドとは異なる音楽性のバンドを遊びでやってみよっかっていう。で、当時、古着のスタジャンを着るノリがあって、僕もモーリスもそのノリがビンビンにキテたんですね(笑)。それで、スタジャンを着てるロックステディのバンドがいたら面白いなという勝手な妄想から、今考えると何が面白いのかよくわからないんですが(笑)、そのコンセプトで「一回スタジオ入ろっか」ってことで、このメンバー(JxJx、モーリス、シライシ、マツムラ、タナカ)でスタジオに入りました。
 でも、まぁ、技術が足りなくて何もできなかった(笑)。「ロックステディだったら、コード進行こういう感じだよね?」くらいの感じで入ったんですけど。どういうふうにやったらロックステディのあの感じの雰囲気になるのかもまったくわからないまま、とにかく手も足も出なかったんですよね。

シライシ ロックステディにならなかったんだよね(笑)

モーリス 一曲まるまるロックステディの世界観を、うちらは表現出来なかったというか。

JxJx ゴールまでたどり着けなかった(笑)

モーリス イントロのアイデアくらいで止まっちゃって、その先がずっと続かない(笑)

―こうすればかっこいいっていうのがわかってるはずなのに、じっさいにやるとそうはいかない。わかります(笑)

モーリス いっぱいかっこいい音楽聴いてるつもりだったんだけど、演奏力がなくてできなかった。

JxJx なんか、夢でよくある「歩きたいけど前に進まない」っていう、あの感じに近いです(笑)

―でも、その一回限りにはならなかったんですね。

シライシ むしろ変なギアが入ったというか。

JxJx 面白かったったんですよね、きっと。レギュラーのバンドがあったからゆえに、新鮮な感じだったんでしょうね。イントロだけで終わっちゃうって感じが。で、気軽に「もう一回やってみよっか?」ってなった気がするだけど、モーリス、どうですかね?

モーリス まぁ「ロックステディできなかったね、ハハハ」って感じだったね。でも、それと同時に短い曲はポンポン作れ始めちゃってたから、この感じがおもしろいんじゃないかっていうのはあった。SCHOOL JACKETSに至るアイデアは出始めてたんじゃないかな。

――なるほど、長くはグルーヴを維持できないけど、短いんだったらできる。そこからSCHOOL JACKETSになっていくっていう。

JxJx 「短くていい」っていう音楽ってなんだっけ?って話になったときに、当時の僕はファストコアも大好きだったんで、「あ、これ一緒だな」と思って(笑)。あと、MUROさんの『KING OF DIGGIN'』シリーズのネタが数秒で次々に展開していく感じとか、TVのテーマソング集だったりとかジングル集とか、自分の好きな感じと似ていることに気づいて、「この短さを逆手に取って何かできないかな」というアイデアになっていったんですよね。それで、わりと2回目のリハくらいからはロックステディとか、ソウルっぽいワンフレーズだけをファストコア的な猛烈なテンションで演奏するアイデアがハマってきて「こっちにしようか」って感じになりましたね。タナカさん覚えてますか?

Zeeray うーん、あんまり覚えてないですね。

一同 (笑)

Zeeray でも、なんかパッとシフトしていったっていうのは覚えてる。

JxJx これは聞いてみたかったんだけど、タナカさんドラムじゃないですか? あのとき、ドラムを叩き始めてどのくらいだったっけ?

Zeeray 1~2年ぐらいかな。

JxJx 「こういう風にしようよ」とか、いろいろアイデアが出てきたときに、単純なエイトビートとかではなくて、「ハイハットを16で刻んで」とか「ここでリムショットが入って」とか細いトリッキーなプレイが必要で、その場で急に「こういう風にやってみよう!」って感じだったんだけど・・・。

Zeeray まぁ、今まで動いたことのないような動きみたいなのがあった。

JxJx それって今更聞くけどどんな感じだったの?(笑)

Zeeray まぁ、イヤではなかったかな。全然イヤってことではない。

一同 (笑)

―逆に、決まったスタイルが染み付いていない分やりやすかったとか?

Zeeray そうかもしれないですね、「あぁ、こうやってやるんだ。あぁ、できたできた」って感じで。まぁ出来てないんですけど(笑)

JxJx まぁ、それは全員に言えるよね(笑)。その気になってただけで、できてはない(笑)

シライシ ドラムがちゃんと叩けてたのはジュンくんだけだったからね。

JxJx 完全な我流ではあったけれど、あの当時、この中ではそうだったかも。

シライシ ジュンくんが叩いたのをZeerayが見て、こういうふうに叩くんだっていうのを見よう見まねでやってたかも。

Zeeray まずは近くで学ぶ。

JxJx よくわかってない人がよくわかってない人に教えてるって状況でしたね(笑)

―でも、まだその時点では、あくまでスタジオ内の遊びという感じだったわけですよね。それをスタジオの外、つまりライヴハウスに持ち出そうというのは?

JxJx それぞれのバンドで外とのつながりがあったので、ありがたいことに面白がって誘ってくれる人がいたんです。それで最初のライヴが決まったような。

モーリス 曲が短いから、初ライヴの頃には、もうアルバム1枚分は曲があって、1stアルバムを作ってライヴに持って行った。

JxJx あぁ、そうだった! ライヴより先にアルバム作ったんだ。17曲入りのフルアルバム!

―結局、それぞれのバンドより、SCHOOL JACKETSの方がおもしろくなってきたということ?

JxJx 今考えるとやっぱりバンド始まりたての面白さって感じで、SCHOOL JACKETSのバンド内の盛り上がりはかなり勢いあったんですが、その数ヶ月後の’97年の夏の話なんですけど、FRUITYはUSツアーに行って、ボロボロになって帰ってきて結局バンドは解散するんですよね。それで、僕は宙ぶらりんになって。いっぽう、モーリスたちのNUTS & MILKは、その頃人気も出てきてたような。コンピに入ったりね。

シライシ 客が急にダイブし始めたりしてね。盛り上がりに変な困惑もあった。

JxJx で、僕はSCHOOL JACKETSが面白かったので、もう少し続けたいなってのがあったんですが、にも関わらず10秒~30秒くらいのスタイルですでに30曲以上は作っちゃってて、早くも結構限界がきてたというか(笑)。だけど、「この火を消したくない」って気持ちがあったので、タケオに電話して「もうちょっとやってみたいんだけど、どうかな?」って相談してた気がしますね。
 で、そうやってYSIGになってくんだけど、NUTS & MILKはどうやって解散したんだっけ?

モーリス まぁ、FRUITYもないし、SCHOOL JACKETSもNUTS & MILKもメンバーが一緒で、ジュンくんがいるかいないかの違いで分けてる感じだったので、「ジュンくんが入ってバンドを一本化する方がいんじゃないの」と。そういう感じで、特にこだわりなくNUTS & MILKはやめちゃったんだよね。

―そうなんですか!? 人気も出てきてたのに?

シライシ 逆にその人気が受け止めきれなったというか。NUTS & MILKで突っ走る気概はあんまりなかったかな(笑)

―そういう結論に至ったのは、もともとジュンくんリーダー気質だったっていうところもあるんですかね?

JxJx どうなんでしょうね、ちなみに歳は自分が一個だけ上なんですよね。その差が効いてるのかどうかわかんないんですけど。でも、なんか(このメンバーは)やりやすかったっていうのはありますね。まだこの先もやってみたいなって思えた。

モーリス SCHOOL JACKETSの実質最後のライブで、俺も初めてギターを持ったんだよね。担当はトロンボーンだったけど、ライヴではほとんど吹かないで、置いて暴れてただけだったから(笑)。「ツインギターでやってみないか?」っていう話があって、最後のライヴはその編成でSCHOOL JACKETSの曲をやった。

JxJx そうか、今思い出したけど、そうだった。

シライシ 全然覚えてなかった。

―そのアイデアはどこから?

JxJx FRUITYのUSツアーで、アメリカの広大な景色を見てエモにはまる(笑)、っていうもあるんですが、なんか「この10秒の曲のその先をやってみようか」っていう話になったんですよね。ギターが2本あって、それが絡んでアンサンブルになってみたいな、もうちょっとメロディアスな曲ができてきたというか、初期のYSIGのエモ時代の片鱗があるような曲が最後の方ではできていたりしたんですよね。いかにもエモっぽいツインギターで一人はオクターブでステイしつつ、もう一人はコードが変わっていって、気持ち良い感じ。でも「長い」っていっても1分くらいなものなんですけど(笑)。それでも雰囲気がかなり違ったんですよね。

モーリス そうだね。1分でもじっくりやってる感はあった(笑)

―それがいつ頃の話です?

モーリス 1997年の終わりくらいの話ですね。

JxJx 大学は卒業してましたね。卒業して1年目。次長は卒業してなかったんじゃない?

シライシ いや、卒業してたよ。

JxJx そっか、タナカさんはまだ学生でしたね(笑)

シライシ 訳あってね(笑)

JxJx けっこう学生だったよね?

Zeeray 大学は6年行きましたね。

JxJx モーリスは看板屋の仕事?

モーリス そうだね

JxJx 僕は当時、就職しないでワルシャワってレコード屋さんでバイトしてたんですが、その年の夏にFRUITYのUSツアーに行って長期で休むため本当に残念ながらその職を失い(笑)。帰ってきて、お金が全然なくて、学生時代の友達が働いてたwebの会社に転がり込んだっていう。

―ああ、それで、その方面の知識があるってことで、JxJxが初期カクバリズムでもwebを担当するって流れなんですね。

JxJx そうなんです。WEBデザインのかなり初期の時代ですね。

―といっても、97年だとYSIGは角張渉には出会ってなかった。

JxJx そうですね。まだ周りには年下の友達(角張渉は5歳年下)はいなくて、基本、同世代か先輩でした。

―シーンではどういう立ち位置だったんですか?

JxJx いま思えば、「何かテイストが違う人たち」だったような気がしてますね。他のバンドに比べると音楽的背景においてパンク以外の部分の比重が大きい感じ、といいますか。ね?

シライシ 僕は、基本はポストパンク。ギターポップとかネオアコとかが好きで、リアルなシーンのパンクとかは実はそこまで聴いてなかった。

モーリス 俺はジャズかな、ジャズ喫茶で働いたりしてたし。

―そういう意味では生粋のパンクではないというのが、上の世代の人たち的にはなんか変な感じがしておもしろがられたんでしょうね。

JxJx そうかもしれないですね。なんか間違ってここに来ちゃった人たちって感じで(笑)。でも、居心地は良かったです。

―ファンの支持とかは?

JxJx ファンの支持……。いわゆるファンっていう概念がなかったですね。「友達がフロアにいる」って感じで。もちろんそれ以外の人もフロアにはいたんですけど、感覚としては友達だったり知り合いがいるって感じですね。それが結構、最初に染み付いちゃってるところがあるんですよね。いまだに演者とファンっていう関係性があんまりわかってないところがありますよね。でも、たまにめちゃっくちゃ好きだっていう奇特な感じの人はいましたね。ヤギくんとか?

モーリス&シライシ そう!

JxJx ヤギくんは忘れられないですね。もともとFRUITYが大好きだったんですけど、SCHOOL JACKETSも大好きで、ビデオで記録したりしてくれてたんですよね。(このあと、ヤギくん撮影のビデオについてのよもやま話)きっとレアな映像をまだいっぱい持ってるんじゃないでしょうか。元気かな。

―まぁ、そんな流れでいま話はYSIG直前まできてるんですけど。SCHOOL JACKETSの最後のライヴというのは、みんな意識してたんですか?

モーリス それが特になくて、SCHOOL JACKETSとして呼ばれてた次のライヴでは、勝手に違うバンドになっちゃったて感じ。だから最後のライブも「別に最後のライブです」とも言ってないと思います。

シライシ ライヴに行く道中でバンド名決めたぐらいだよね。

JxJx そうだった。それで僕は、呼んでくれた先輩に「バンド名が新しくなるんですけどいいですか?」って聞いたんですよ。寛大な人だったので「全然いいよ」って、むしろおもしろがってくれるような感じだった。でも当日まで名前はぜんぜん決まってなくて、どうしようってなって、ライヴハウスに向かう最中に追い込まれて「YOUR SONG IS GOODってどうかな?」って話したような。

モーリス 中央線の高円寺-西荻間で決まった。

JxJx 「文章になってるような長いバンド名かな?」って思って。

シライシ 「いいな」って思った。なんかフラッシュアイデアぽい感じではなかったような気がする。長く使えそうな気がした。他にも候補はあったんだよね。

JxJx そうでした。

モーリス 「ABC」(笑)

JxJx 「でも、ABCは80年代にもういるな~っ」てなって(笑)

―パッと出てきたにしてはいい名前ですよね。本当に、なにも考えていたわけではなかった?

JxJx なんでこうなったんだろう?「バンド名っぽくない変な感じだとなんだろうな?」っていうのはアイデアであったんですが、あと文章になってるのはエモの影響か、で、文言に関しては、なんとなくの思いつきですかね。

―それで、ライヴで「今日からYOUR SONG IS GOODです」といったわけですよね。

JxJx はい。「どうも、こんにちは。YOUR SONG IS GOODです」って(笑)

モーリス メンバー一緒なのにね(笑)

JxJx 急にね(笑)

(後編につづく)

Part 1 後編

―パート1はSCHOOL JACKETS結成からYSIG誕生に至るまでの話でした。とはいえ、一気に人気が定着したわけではなく、そこから1年ぐらいは、いろいろ試行錯誤もあったそうですね。SCHOOL JACKETSって、ロックステディ+ファストコアっていう設定が決まってたバンドだったから、そうじゃなくなったときに「どうしようか?」って部分もあったのでは?

JxJx おっしゃる通りです。急に自由になっちゃったもんだから、「アレ?」ってなっちゃたんですよね。それで、僕はますます90年代のエモ、DIYスタジオライブシーンみたいなところにすごく傾倒していくんですけど。そこらへんでモーリスとか次長とかタナカさんとかタケオとかみんなでうまく共通項でいけるものはなんなのか探ってた感じですね。それぞれのバックグラウンドとぜんぜん違うことを無理矢理やってもらうってのも違うなと思っていたので。
 なんかめちゃくちゃディストーションで歪んでみたいなのも試したりもしましたが、もうちょっとクリーントーンで雰囲気がある感じのほうが合ってるよね、とか。で、ちょうどキャップンジャズだったり、そのままシーアンドケイクあたりにもつながって。どんどん歪み成分を減らしていったんですよね。
 そしたら、ちょうど海外のポストハードコアだったりエモバンドが、急にインスト~ポストロック、ダブみたいな音に近づいていった時期だったりで、こちらもなんとなく曲がインストになっていく感じの予兆がバンド内にも出てきていて(笑)。それで、だんだん歌の割合がだんだん減ってきて、イントロが極端に長い、とか(笑)

シライシ なんか説明はしてたと思うよ。そのうちまったく歌わなくなるっていうタイミングがあったけど、そのときはちゃんとそう宣言してたね。

JxJx 宣言(笑)

Zeeray この曲は歌わない。

シライシ 鍵盤入れたときとタイミング一緒だったかな?

JxJx そうだ、ボンゴも持ってきたよね?

モーリス そう!

シライシ 徐々にジュンくんがマイクじゃない楽器を持ち込んできたような(笑)

JxJx ボンゴが最初だった(笑)

モーリス そうだね。ボンゴ入りで3分くらい曲やって、最後に「あーっ!」て叫ぶような(笑)

JxJx ボンゴ叩きながら歌うってスタイル(笑)

松井 すごい! それ見たい!

Zeeray トライアングルもあった。

JxJx あぁ、あった! トライアングルから始まるエモインストみたいな(笑)

松井 野音でやりましょうよ、それ。

―知られざるYSIGの初期の姿として(笑)

シライシ その当時の演奏って、まったく音源に残ってないんだよね。

JxJx そう。ビデオしか残ってないんですよ。

―昔した取材でもその時期のことしゃべってもらった記憶ありますね。「スクエアプッシャーをこじらせたような」とか言ってたきがする。

JxJx それは、いま話してるあたりの翌年ですね。翌年、スクエアプッシャーの2ndの雰囲気をこじらせました(笑)。インストになってゆく過程はそんな感じでしたね。いま思えばだけど、みんな不安に思ったりしなかったのかな?一応、自分のなかでは筋道はありつつ、スタジオ内ではみんなで楽しくやってる感じではあったので、バンバン試しちゃってはいましたが、こういうの今面白いからどうかなっていう。

Zeeray まぁ、「どうなっていくんだろうな?」ってのはあった。「ジュンくんは今度は何をやるんだろう」って。

モーリス あぁ(笑)

Zeeray あと「(JxJxは)今度は何のパート(楽器)やるんだろう?」ってのはあった(笑)

―たしかに、これまで歌ってた人が歌わなくなるわけだから。じゃあ、ボンゴやトライアングルの次に鍵盤?

JxJx ですね。この翌年に鍵盤を持ってきましたね。小学校のときに使ってたYAMAHAのポータトーンっていうカシオトーン的なやつ。小6ときに買ってもらって、ずっと使ってなかった。

モーリス 小さいやつだった。

JxJx そのあたりのライブをうちの社長(角張)が見てたんですよね。鍵盤入れて1回目か2回目でした。最初に鍵盤入れたライヴは、Bluebeardとやった99年の年明けだった気がする。

―ボンゴやトライアングルと違って、鍵盤はハマったわけですね。

JxJx そのころ、モーリスとふたりでトータスのライブを渋谷のクアトロで見たんです。『TNT」出した後で、もうめちゃくちゃかっこよかった。もともとトータスもハードコアの文脈からできたバンドだし、それがいますごいことになってる。そう思って、僕は自分たちのバンドにもSCHOOL JACKETSからのストーリーを勝手に投影してたんです(笑)。
 当時トータスはNord Lead2を鍵盤として使ってたんですよね。真っ赤なやつ。それは当時、買えなかったんですけど、とりあえずまずは今すぐ使える鍵盤でYAMAHAのポータトーンがあって。

シライシ めちゃくちゃ影響受けてきたんだよね。

モーリス そう、あああいうの見てたから、楽器持ち替えは当たり前だし、誰が何弾いてもいいっていうか。

JxJx 楽器の持ち替えか、はじめて観た時はめちゃくちゃカッコよかったですね。あのロックバンド的なフォーマットを逸脱したかっこよさにやられちゃった。それで、僕も座って弾く感じとかも導入しようと。

―そのライブを角張くんが目撃してたと。

JxJx しかも、完全に以前に以前のスタイルを期待して見に来てたと思うんですよ。SCHOOL JACKETS的なヤツを。

シライシ あのころ、俺らはいちばんポストロック的でシュンとしてた時期かもしれないね。曲も長尺になってた。

JxJx そう、曲は長尺になってました。

シライシ お客さんが結構困惑してたようなイメージがある。

JxJx めちゃくちゃ困惑してた!

モーリス 前列の男の子が、こうアゴをかきながら見てた(笑)

一同 (爆笑)

JxJx アゴかきながらライヴ見てる人、初めて見た!(笑)

モーリス 見てたっていうか、あれは俺らが終わるのを待ってたね。

JxJx 「キョトン」っていう擬音が聞こえたっていうかね(笑)。本来鳴らないはずの音が聴こえて、立体になって見えたような感覚だったのは覚えてます。

モーリス マンガみたいなね。

JxJx でも、またタチが悪いことに僕らは全然臆することもなく。

モーリス うちらはもう今のいちばんホットな部分を出しているつもりだったから(笑)

―で、結局そのときはまだ角張くんから話しかけられることもなく、また時間が経過する、と。

JxJx そうですね。声かけられるのは2年くらいあとです。

シライシ 心の整理がつかなったんだね(笑)

JxJx で、にも関わらず、バンド的にはその路線をグイグイいきましたね。結局、Nord Lead2もローンで買って。それで、光栄なことにディラン・グループの来日サポートとかもやらせてもらって。そこまでは良かったんですが、こじらせ始めたのはその辺からなんですよ(笑)
 そのころはみんな仕事しながらやってて、仕事が終わってからリハスタに集まってたんですけど、だんだん曲が暗い感じになってきた時期で。最初は、なんとなくそれがかっこいいなって思ってたのもあったんですけど、そういうのを仕事終わりでやるのが、だんだんね……。

モーリス 俺が覚えてるのが、新宿Loftのバースペースでの深夜のライヴかな。そのときも暗い曲をやるんですよ、暗くて長い曲を(笑)。マーク林さんのバンドと対バンとかで。

JxJx そうマークさんだ! それ、最後の究極のやつだ(笑)

モーリス 深夜のバースペースで、みんなお酒飲んで楽しくしてるようなところで、長くて暗い曲をやっちゃったんですよね。それが本当にウケなくて。なんかそこで違和感を感じ始めちゃった。

JxJx そう、違和感感じましたね(笑)。20000Vでやった時は、まったくその違和感をものともしてなかったんですが、ついに気づいたというか。

モーリス 仕事終わりでわざわざやってるという気分とも相まって。

JxJx なんかどんよりしてきちゃったんですよ。で、曲やるとどんよりしてきちゃうから、リハでも外でビール飲みながら話してる方が楽しいという。だから、なかなかスタジオに入らない(笑)

シライシ おしゃべりが8割くらい。

JxJx そんなことになってたんですよね(笑)。思い返せば、いろいろと友達のバンドにも迷惑かけたような気が。

モーリス そうだね(笑)

JxJx 時期はもう少し前の話になるんですが、Bluebeardと2マンを中野マッドスタジオでやって。たぶん、企画したBluebeardは「エモ対決」みたいなのをやりたかったはずなんですよ。

モーリス そうそう。

JxJx そこに現れた僕らが、インスト~ポストロック化してた(笑)

モーリス アート・アンサンブル・オブ・シカゴとかのライヴとか見て、「あの感じかっこいいな」って言ってたから。「変な感じから始まろう」とか言って。

JxJx 完全にそっちになっちゃってた(笑)。あれに関してはいま思い出しても「ごめんなさい」っていう感じです。そして、ややこしいことに「でも、一応音楽的には地続きなんです」みたいな考えが当時はあった(笑)。

シライシ あったね~

―そこまでこじらせていたとは。

JxJx で、’01年あたりに話を戻しますが「さすがにまずいな」っていう時期に突入していて。そのころ、YSIGにはモリヤっていうパーカッションのメンバーが入ってきてたんですよ。僕の会社にいたアルバイトの学生だったんですけど、すごく面白いやつで、音楽もすごい好きで。本当はベーシストなのに、突然「俺、コンガやります!」とか急に言い始めちゃうような。
 そんな時期に、オリジナル・メンバーであるタケオに「デザインの勉強で海外留学がしたいんだよね」と言われまして。バンドはもうユルユルだったっていうのあって、それなら「タケオはデザイン極めてくれ、で、モリヤはベース弾けるからモリヤがベースやろっか」って感じのコンバートがありまして。そのタイミングで、僕も楽器をオルガンに変えたような気がします。

―お、なんかいまにつながる姿が見えてきました。

JxJx もう一回原点に帰ろうとういか、最初にSCHOOL JACKETSをやろうとしたあの感じでバンドをもう一回立て直そうという気持ちがあった気がしますね。

シライシ 「自分たちのキャラに合わないことをやってたな」って話し合った気がする。

モーリス したね。

―「キャラに合わない」ってもっと早くに気付きそうなものだけど、途中で止められなかったんですね。

JxJx そうなんですよね(笑)。みんなの共通項を探したてたらとんでもないところに来てたというか。

シライシ 気づいてよかった(笑)

JxJx で、こっちの方が楽しそうだからって感じで、オルガン買って。もう一回素直にスカとかをやり始めました。

シライシ 好きな音楽をね。

モーリス ギターもカッティングを解禁して。キレのいいカッティングなんて(こじらせ期は)封印してたんですよ。

JxJx カッティング禁止、むちゃくちゃですね(笑)

Zeeray ドラムもスネア禁止だった。

モーリス スネアの2拍4拍禁止とか。

―厳しい!

一同 (笑)

JxJx とにかく変拍子だった。

Zeeray スネアはほとんど叩かない。

シライシ (ギターも)変拍子のリフを延々やってた。

JxJx しかも、アカデミックな音楽的素養がなくて、コードの理論とかも全部無視してなんか合うところでやってたから、まぁめちゃくちゃだったんだろうね。それを全部やめて、一気に解放されたって感じですね。

― でも、バンド名だけは変えなかったんですね。

JxJx そうでした。

モーリス そこは変えなかったんだね。SCHOOL JACKETSのときはそれで変えてたのに。

―もっとダークウェーブな名前に変わっててもおかしくなかったのに。

JxJx たしかに。今考えると名前とのチグハグ感がすごい(笑)。あれでYOUR SONG IS GOODって、皮肉がすごい(笑)。まぁ、2000年直前はそんな感じでしたね。

―このパートもそろそろ終わりに近づいていて、この後はメンバー交代もあり、角張くんとの出会いもあり。YSIGの躍進が始まるんですけど、あらためてこの時期を振り返ってみて、どうですか?

モーリス いましゃべったぐらいの時期が、いまのいまに通じる、大きな転換期だったような気がする。ハットリくんがスタジオに遊びに来たりするようになったのも、この時期前後の話ですし。

シライシ 迷走してたインスト期っていうのは、いまの肥やしになってますよねすごく。

JxJx そうだね。いま思い返しても、面白い曲はいっぱいあったね。

モーリス あのときの暗かった気分を、たまに引っ張り出したりします。曲を作るときに、いまあれをやったら案外いんじゃないかって。

JxJx 「いまだったらあの感じのヤツ、やれるね」っていうのは数年前とか、よく話してましたね。

モーリス オリジナル曲の引き出しをいっぱい作れた時期なのかな。

―Zeerayさんは、どうですか?

Zeeray うーん、あのときも、ライヴのたびに一個の曲をいろんなパターンでずっとアレンジをしてたんですよね。微妙に形は違うかもしれないですけど、最近もそんなニュアンスのことを再びやり始めてるので、そこらへんは変わらず、そういうのが好きなんだなって。

シライシ やってることは変わらない。

Zeeray あらためてそういうのをしみじみ思い出しました。

一同 (笑)

―とりあえずまだ『Sessions』に入ってる曲はまだ何ひとつ生まれていないですけど、実り多い時期でもありました、と。ではこのパートはこれにて終了!

Part 2

YOUR SONG IS GOOD全メンバー&サポートで振り返る超ロング・ヒストリー対談!
パート2から参戦のメンバーをジュンくん紹介お願いします!

ハットリ ”ショーティ” ヤスヒコ、タカダ ”ダータカ” ヒロユキ

はい、了解しました~~、それでは!

オン・トロンボーン、ハットリ ”ショーティ” ヤスヒコ。YOUR SONG IS GOODの最年長、温厚な人柄とは裏腹に数々の伝説の持ち主。最近では、去年、韓国のフェスに行く時に「どうやら冬の北海道くらいの気候らしい」という前情報にも関わらず、成田空港に裸足にサンダルでさっそうと現れる、などなど大なり小なり、伝説更新中。あと、最近の髪型、最高です。

続きまして、オン・ベース、タカダ ”ダータカ” ヒロユキ。信頼のベーシストでありつつ、年上かつクセモノ揃いのメンバーの中で、むちゃくちゃ普通っていうのが、逆に超個性的になっちゃってるという奇跡のポジションを現在もしっかりとキープ中。これ、けっこうスゴいことなんじゃないかと思ってます。

途中参戦の2人、はオリジナルメンバーにおける最年長と最年少です。だからなんだって話なんですが、そういう目で見てみるとちょっと味わい深いかも。どうぞ!

Part 2 前編

シライシ (JxJx、ハットリ、ダータカを見て)この並び、あんまりない

JxJx この並びめちゃくちゃ面白いですね!

モーリス 新鮮!

―では、パート2を始めます。トロンボーンのハットリさん、ベースのダータカくんに入ってもらいつつ、初期メンのみなさんからもツッコミいただくということでやりましょう。じつは、ハットリさんの話をじっくり聞くのは初めてなんです。パート1の最後のほうに「ハットリさんがスタジオに遊びに来て」って話が出てましたけど、あれが2000年くらい?

ハットリ そうです。僕は2000年からですね。シライシのいとこと友達で。

シライシ そうなんです。パート1で話してた、これからスカとか明るい感じの方向でやっていこうかってときだったんで、ひらめいたんですよ。「知り合いでトロンボーンやってる人がいる!」って。それで、「スタジオに遊び来たら?」って感じで連れてきていまに至ってるので、まだ正式に加入はしてない……。

一同 (笑)

シライシ まだ遊びに来てる状態が続いてる感じ。

JxJx このネタ、言い続けて何年なるんだろう?(笑)。ハットリくんはずっとYSIGに遊び来てくれてるって形。

ハットリ 「いつまで遊びに来るんだろう、あの人?」って感じで。

JxJx いやいや、ずっと遊びに来てくださいね。

シライシ (誘った理由は)スペシャルズの『More Specials』とかを聴いてた流れで、やっぱトロンボーンあったほうが絶対面白いだろうなっていうのがあった。

JxJx スペシャルズの『More Specials』はその頃の指標になってて、さらにソウル・ブラザーズ『Carib Soul』とかその辺までさかのぼってね。「(やりたいのは)ああいうことだよね」って話してたら、次長が「来週のスタジオにトロンボーン吹ける先輩連れてきていい?」みたいなことを言ってた気がする。で、僕らも、とにかく新しい状況にしたかったから「ぜひぜひ!」って感じだったと思う。

ハットリ 初めてスタジオに行った時に、「ディラン・グループの来日サポートが決まった」っていうような話もしてた。

JxJx あれ?そっか、そしたらポストロック期から移り変わっていくあたりで、まず一回会ってたってことか。20年経つと、人の出入りのタイミングもよくわからなくなってくるんですね(笑)。

シライシ で、無理やり入れてたんだよね。ポストロックの曲にもトロンボーンを。

―変化を待つまでもなくトロンボーンが入ってきたんですね。

ハットリ 確か、初めて見に行ったのはシェルターで、そのときはポストロック的なのをやってたのかな。僕にはそれが新鮮でした。かっこいいなと思って、スタジオに遊びに行った。

JxJx envyの企画〈Last Wish〉じゃなかったかな?

シライシ そうだね。見に来てくれたんだよね。

―それまではハットリさんはどんなバンドをやってたんですか?

ハットリ 僕は大学に入ってトロンボーンを始めたんです。スカが好きで吹き始めたし、もともとのルーツはジャマイカの音楽ですね。

―その当時YSIGがやってたのは、そこからだいぶ離れたことでしたけど。

ハットリ さっきも言ったように、そのときは、逆に(ポストロックが)新鮮で面白いなと思いましたね。

―ジュンくんとしては、その時点ではハットリさんはあくまでゲストという扱い?

JxJx 一緒にスタジオ入ったとき、面白かったことは覚えてますね。やっぱりホーンが入るっていうが新鮮で。きっとこの人は、この状況を変えてくれる人だろうなって思いました。でも、さっきの話じゃないけれど、確かに考えてみると、あらためてその時に「一緒にやりましょう!」って話はしてないっちゃしてない(笑)。たぶん、なんか照れ臭くて、「よかったら、また来週来てくださいね」みたいな感じでした。

ハットリ そんな感じだった。

―ハットリさんを迎えて変わっていこうってときに、曲はどういうのをやってたんですか?

JxJx それまでやってた曲では、さすがに無理だなと思ったんですよね。変拍子だし、曲の雰囲気が全然違ったので。なので、新しく作り直そうとして、新曲を作ってた気がしますね。

ハットリ 「海底温泉」って曲とか。

モーリス ハットリくんがシェルターに見に来てたときは、「大食い選手権」とかやってた。

JxJx そうか、ちょっと明るくなりつつある兆しはあったんだ。あ、そういう感じの曲なんです、「海底温泉」とか「大食い選手権」って。

モーリス それで、ハットリくんが入りやすい感じにはなってたのかも。

―しかし、「大食い選手権」って曲名は、めちゃめちゃ明るいですね。

一同 (笑)

JxJx どうやら何かを変えたくて必死だったんでしょうね。随分思い切った名前をつけてたんですね(笑)

シライシ ひどい(笑)

Zeeray 「大食い選手権」に「海底温泉」。

JxJx 楽しくしたかった気持ちが曲名にも出ちゃってるパターン。ということは、明日から変わります!って感じの劇的な変わり方だったわけではなく、少しづつ明るくなっていった(笑)

モーリス なんか、だんだんだったよね。

JxJx そしたら、周りの人たちもだんだん楽しんでくれるようになっていったってことだったのか。

―ダーダカくんが加入したのは、もう少し後ですか。

ダータカ 2001年くらいですかね

JxJx ダータカがやってきた時はもうオルガンインストバンドって感じになってましたね。で、その頃に学生だったベース担当のモリヤが大学4年の夏休みにバンドを辞めるんですよね。それで、もともとダータカはモリヤの高校、大学の同級生だったんですよね。それで、奇しくもダータカが参加していたバンドが、自分たちと同じ練習スタジオに入っていたこともあって、ダータカとは、そこで会ってはいたんですよね。
 だから、なんとなくつながりはあって。で、「さっき話してはあの子は誰なの?」ってモリヤに聞いたら、「高田っていうんですけど、同級生でベースすごいうまいんですよね」って話があったことを覚えてます。で、モリヤがやめるときに「ベース誰かいないかな?」ってダメもとで相談したら「(後任には)高田がいますよ」っていうから、「あ!あの子か」と思って、スタジオも一緒だったし、なるほど、これは話が早いから紹介してほしいって話になって。

ハットリ 代々木公園のライブに遊びに来てたよね。

ダータカ 実は99年くらいにも一度見てるんですよ。

JxJx あれ、そうだったっけ!

ダータカ モリヤがコンガを叩いてるときに一度見てますね。

JxJx そっか。モリヤからは(YSIGのことを)なんて言われたの?

ダータカ 「やめるから代わりにやってくれ」って。

一同 (笑)

JxJx ものすごいストレートな頼み方(笑)

ダータカ 僕も大学4年だったんですけど、仕事も決まってちょっと宙ぶらりんな感じで、ちょうどタイミングも良かったんです。それに、今まで同年代の人とバンドやってて、年上の人とバンドはやってなかったので、面白そうだなと。

JxJx それでやってもらうことになったんですね。最初、スタジオに来てもらった時は、もう曲がいくつか揃ってたんで渡してたような。

モーリス 予習してきてくれたんじゃなかったかな。

JxJx で、「合わせてみようか」ってやってみて。いまも忘れられないんですけど「せーの」でパン! とやったら、モリヤより全然うまくて、ものすごい手応えがあった(笑)

シライシ 全然違ったんだよね。

JxJx そう! 「モリヤ、いい奴紹介してくれたな」って。最後にとんでもなく良い仕事をしてくれたって感じでした。

シライシ もう全部できてたよね。

ダータカ めちゃくちゃ練習しましたからね。

JxJx そっか。

松井 いまは練習は?

一同 (笑)

ダータカ あのときは、いままでの人生の中で一番練習した。

JxJx 頼むから、いまもお願いしますよ(笑)

―とにかく、そこで「黄金の6人」になるわけですね。

JxJx どうにか、そこで揃いました!

―同時に、過渡期が終わって、いまに通ずるスタイルに変わってゆく時だったと思うんですけど、そのころにできた初期の曲で、お客さんの反応も変わった、みたいな手応えもあったかと思うんですけど。その象徴的な曲とか場面って覚えてます?

シライシ 「PAPA'S GROOVE」とか、やってたね。

ダータカ やってましたね

JxJx 最初にThe Double(JxJxがドラムで参加していたインストバンド)とのSPLITのカセットテープ(『LIVE AT HINO’S YOUR SONG IS GOOD VS THE DOUBLE』)に録音した曲ですね。ファンキーな「タイトゥン・アップ」系の曲で、これまでとは大違いの方向性だったわけなんですが、みんなの前で初披露したときは……、覚えてない(笑)

ハットリ 高円寺かどこかのスタジオ・ライヴで「PAPA'S GROOVE」は、やってた気がする。

シライシ スカの曲もあったよね。「10inch Stomp」とか。

モーリス やってたね。

JxJx そうだった。で、変わりたての頃は、まだお客さんがガンガンに踊りだすような状態にはなれてなくて。状況としてはパンク・バンドの中に、突然オーセンティックなスカやロックステディ、ファンキーなインストを演奏するバンドがいる、っていう感じで。ただ、間違いなく、ちょっと前のどんよりっていう感じは無くなってて。やる方も見る方もなんとなく雰囲気的には明るい感じの、ポジティヴなムードに転じつつあったような。

モーリス そうだね。スペシャルズのライヴの、あの盛り上がりってのを目指してたからね。

JxJx ちなみに脳内では、完全にそういう状態ってことで挑んでいた(笑)

モーリス みんなでストンプしてる感じを(笑)

JxJx 実際には全然違うんだけど (笑)

シライシ 急に反応が変わったわけではないんだけどね。

JxJx それで、バンド内ではなんか新しいことをやって、前に進んでる感じがあって、それに心が躍っている感じっていうのはあって、ライブの本数はどんどん増えていったような。それからだんだん友達や先輩が楽しんでくれてるようになってきたって感じだったのかもしれない。あと、当時そのあたりで元FRUITYの2人が新しいバンド(TWINKLE)を始めて、なんか新しいことが始まりそうなワクワクした雰囲気も個人的に感じてました。それぞれの道を辿ってまた集まってくる感じといいますか。

モーリス 周りのバンドや友達も楽しんでくれてたよね。カトマンさん(DOTLINE CIRCLE)が、うちらを呼び込む最初のMCを勝手にやってくれるようになったり。「ヒュー!」みたいな声があがるノリがわりかし出てきた。

―ハットリさんは。いわゆるスカとかルーディーなノリのお客さんたちを前にしての演奏もしてたと思いますが、それとは全然違うって感じでしたか?

ハットリ でも(YSIGは)変わる前からダンスミュージックのノリみたいなのはあって、それがかっこいいなと思ってたから。そういう素養は変わる前からあったんじゃないかな。

JxJx それで、思い出したけど、さっきハットリくんが言ってた代々木公園のライブっていうのが〈日曜革命〉っていう企画で、パンク・バンドがいっぱい集まったんですけど、そこに僕らも呼んでもらって。そのときはもう「GOODBYE」(後にカクバリズムの2枚目の7インチとしてリリース)のオリジナルヴァージョンもやってたかもしれない。この日は、モリヤがラストライブで、ダータカが見に来てて。オルガン買ってなんとなく1年くらいで、曲も増えてバンドが動き始める感じがあったって感じだったんですね。

―ポストロック期とは違ったかたちで、インストで押し通せる度胸みたいのもできていて。

JxJx そうですね。その頃にはもうそういう感じになりましたね。ライヴ・ハウスで社長(角張)に会ったのはそのあたりじゃないですかね?

(後編につづく)

Part 2 後編

―角張渉という、年下でやり手っぽい若者が現れた、というところで前編の終わりでした。

JxJx 僕ら的には先輩と同世代しかいなかったところに、年下の友達ができるっていう状況は結構な変化でしたね。「下に広がる」っていうか。そういう感覚は初めてでしたね。

モーリス そのころ対バンでGORO GOLOとやったら、彼らの仲間としてそこにいたマサヤ(現カクバリズム・スタッフ)がうちらのTシャツを手伝って売ってくれたりっていうつながりもでてきた。

―このあたりのエピソードは角張くんの著書『衣・食・住・音』とか、いろんなインタビューでも出てきますけど、あらためて。角張くんからはいきなり「7インチ出しましょうよ?」って言われたんでしたっけ?

JxJx その頃は、The Doubleとのスプリットのカセットが出て、曲も結構できてきて「そろそろ音源作ろうか」みたいな状況でした。スタイルも固まってきて。で、どうしようかなってところで、いろんな選択肢がある中で、考えたんですけど、自分たちでリリースするのはSCHOOL JACKETSでやった、と。で、先輩にお世話になるのもFRUITYでやらせてもらえて、とにかくYSIGはまったく新しい形にしたいという気持ちがありまして。そういえば、後輩とやったことはないなってところで、まず、FRUITYの話になっちゃうんですが、社長と仲良くなってしばらくたってから、彼がアビちゃん(安孫子真哉、現・KiliKiliVilla)とやっていたレーベル、STIFFEENからコンプリート盤『Songs』を出すことになるんですよね。で、そこで一回仕事やらせてもらった、この経験は大きかったですね。で、この先も彼とやるのは面白そうだなって思ったんですよね。「もしYSIGが、なんかやるんだったら俺やりたいです」みたいな感じの声はかけてくれてて。
 で、「じゃあやろう」って話になったんですけど、そのままSTIFFEENから出すのは違うなと思ったんですよね。というのも、とにかく遠回りしまくって、やっとバンドとして何か新しいことに挑戦できそうな感じだったので、音楽的に色のついてないっていう意味で、「レーベルもゼロからやりたいんだよね。まったく新しいレーベルをやろうよ」って社長に言ったんです。で、「それいいですね!」ってノってくれて、カクバリズムができた、って感じでした。
 これまで、パンクシーンの中での異物っぽさをみんな面白がってくれてたし、僕らもそこに甘えつつ、楽しませてもらってたんですが、個人的には、いよいよ「自分たちの場」ここが大事だなって思ったんですよね。というのもあって、ゼロからやろうと相談して、社長にはそこに応えてもらったって感じです。

―そして、カクバリズムから出した最初の7インチ「BIG STOMACH,BIG MOUTH/LOVE GENERATION」(2002年3月)が出て、いきなりヒットしたわけです。

JxJx これは、いきなり「お客さん」という存在を知った感じですね。友達とか自分達の周りだけで流通してるような感じからいきなり。「買って聴いてくれる人がいるんだ!」っていうのが新鮮な体験だった気がする。びっくりしました。

モーリス そうだね。

―客層も目に見えてガラッと変わっていって。

JxJx そうですね、まず、だんだん人が増えてきました。で、年下のお客さんが増えてきたんですよね。社長世代っていうのは僕らと全然違くて「女の子も西荻WATTSに来る」みたいな感じのノリを出していて(笑)。そういう層にも受け入れられて、明らかにこれまでと違う状況になってましたね。

―やってた自分たちとしては、どういう気分なんですか? 

JxJx さっきモーリスが言ってたように、スペシャルズのライヴ映像みたいになったら楽しいな、っていうイメージはあったんですよ。なんとなくその雰囲気に近づいてるような感じはあって、ワクワクしてましたね。

―ちょうどそうなる直前に加入したともいえる2人(ハットリ、ダータカ)はどうですか?

ダータカ そうですね。ワクワク感というのは感じながらやってました。これまで学生バンドでやってたのと全然違う状況というのも新鮮だったし、まずは自分が楽しんでやれればと思ってやってました。お客さんと同じ雰囲気を体験してたんじゃないかなと思いますね。これはいまでも同じスタンスでやっています。

―ハットリさんはどうでした?

ハットリ 僕もそれまでやってたバンドはライヴに人が全然来なかったりしたんで、「YSIGはお客さんが来るんだ」って思いましたね。

一同 (笑)

ハットリ ライブのノルマもないし、いいなぁと。

JxJx ああ、ノルマ、昔はたくさん払ったな~、泣ける~(笑)

―さらに、はじめてのまとまった音源であるミニ・アルバム『COME ON』(2002年8月)、決定的な7インチ「SUPER SOUL MEETIN'/SWEET SPOT」(2003年8月)、ファースト・アルバム『YOUR SONG IS GOOD』(2004年10月)と、どんどん人気が上がっていって、ついにフジロックに出ます。

JxJx 2005年のWHITE STAGEですね。

―それまでもいろんな場面を経験してきたなかでも、あれは印象深いでしょ。

ダータカ 朝イチでセッティングして、音出したりして、ってライブ前のステージでやってるんですけど、パッと客席見た時に100人もいないなって感じでした。WHITE STAGEって1万人くらい入るじゃないですか。まぁ、いつものライヴハウスだといい感じにフロアが埋まってなんですけど、さすがにスカスカなんであのときは「俺たちこの感じでやるのかな?」って思って(笑)。で、一回裏に戻って、出番になってステージに出たときにお客さんでめちゃくちゃ埋まってた。「うわーっ!」ていう勢いみたいなものを感じた、あのときの印象がデカいですね。

JxJx もしかして泣いた?(笑)

ダータカ 泣きはしなかったですね(笑)

一同 (笑)

ダータカ なんかすごいパワーを感じたというか。

シライシ YSIGのキャリアのなかでも、野外フェス出たのもフジロックが1回目か2回目ぐらい? 野外でやるっていう経験がまだほとんどないまま、いきなりフジロックのWHITE STAGEっていう状況だったんで。

JxJx たしかに、あのサイズ感は、すごかったね。

シライシ あれはよくも悪くもトラウマになるというか。

ダータカ 友達も見に来てくれてて、終わった後に苗場食堂で飯食ってたら、「なんかすごかったよ」って言ってくれたり。それまでそんなの一回もなかったから。

JxJx 褒められたこと一回もなかった?(笑)

ダータカ なかったですね(笑)。それで初めて「ああ、あそこでライブやったんだな」と実感しました。

―ハットリさんは、そういう意味で感動した体験ありますか?

ハットリ 大分のジャマイカ村(〈非日常的空間 ~山の中のカリブ海~ ジャマイカ村Vol.9〉) だっけかな?

JxJx フジロックの前にやったやつだ。一週間前だった。

ハットリ あれが野外は初めてで、すごい覚えてる。九州まで行って野外でやって、感動した覚えがある。

シライシ 泣いた?

ハットリ 泣いてない(笑)

―いまでこそ野外フェスはYSIGの本領という感じですけど、当時はまだまだだったんですね?

JxJx もうぜんぜんです。そうだ、先駆けての体験という意味では、2003年にチン(チン中村)くんの企画した〈SOUL JERK 2003〉ってのが所沢の航空公園でありまして。そこで、自分たちがこれまで経験したことのない規模の人数、で、野外っていうのを初体験したんですよね。当時頻繁にやってた「GOOD BYE」で、めちゃくちゃ盛り上がったんですけど、大人数が盛り上がるってこういうことなんだっていうのを初めてステージから目の当たりにしたっていうか。かなりびっくりした記憶があります。

―角張くんも言ってましたけど、当時は「フジロックなんて行かないっしょ」みたいなノリでもあったという。

JxJx まったく関係のない世界の出来事って感じでしたね。目指すものでもないというか、とにかくまったくわからなかった。今はいつだって出たいです(笑)

シライシ お客さんとしても行ったことなかったし。

JxJx 周りの誰も野外フェスを経験してなかったので、チンくんがそういうのをやるのも「へー」って思った。

―そういう意味では、いまのノリというか、「フェスやパーティーを沸かすのは俺らにまかせろ!」みたいなノリは……。

JxJx まったくなかったですね(笑)

シライシ 何も考えてなかった。

JxJx そういえばYSIG=野外っていうイメージもそうなんですが、音源を出して、結構いろんなところに紹介してもらえるようになった時に、「パーティーバンド」っていう説明がついている時期があって、「そっか、そうなのか」って感じが自分たちにはちょっとあったよね?

シライシ 客観的に見られるとうそうなのかと。

JxJx ちなみにこのメンツでパーティーをやったことは、ない(笑)。誰かの家に集まったりも、しない(笑)。

シライシ そういうキャラじゃない(笑)

モーリス それはない(笑)

JxJx 本人たちにそういう素養がないのに、そういう機能を果たし始めたっていうのが、不思議な感じで、面白いなと思ってましたね。バンドが暗くなった時期の反動が、こういう形になるのか、と(笑)。ちなみにそんなにいやじゃなかったので、ライヴは、ひたすら楽しくはやっていました。

シライシ 野外フェスはYSIGのスタイルにあってるな、っていうのはやりながら感じていったところはあるよね。

JxJx 「この曲がこういう風にハマるんだな」ってことを、遅ればせながら体験を通して知っていったという。

―それから、このパートの大きなエピソードとしては、2006年のメジャー・デビューもありました。そして、2009年、ちょうど10年前に前回に野音ワンマンなんですが、じつはそれがメジャー期の終わりでもあったという。

JxJx そうですね。そのタイミングでの野音でしたね。これはもう忘れられないんですけど、あのときの野音で、リハも終わって、じゃあ本番のライヴやりますってときに社長がやって来て、「みんな、ユニバーサルの契約終わります!」って言ったんですよ(笑)

一同 (笑)

モーリス ライヴ前に(笑)

JxJx あの人、ライヴ前にそれを言ったんですよ!(笑)

シライシ モチベーション下がる(笑)

JxJx 成績を考えると「だよな」とも思いましたけど(笑)。で、もちろん発破かけてるってニュアンスもわかってたんで、「OKやりましょうか!」ってことで、最後まで走りきりましたけども。

ハットリ 冷静に考えるとひどい(笑)

JxJx いや「なんてタイミングで言いやがるんだ」と(笑)

―まあ、それを意気に感じたからこそ、よいライヴになったんだろうし。あの野音の景色はいまも印象に残ってますけど、舞台裏はそんなことになってたんですね。

JxJx そうなんですよ。で、こうなると、若干怖いのが、今度の野音の時に「みんな、カクバリズムとの契約、終わります!」って言われるんじゃないか、と(笑)。とにかく、ライヴ前に何かを言うのが好きですからね、あの人(笑)

―まあ、その20周年野音を前にして、次のパートに行く前にあらためて、ハットリさん、ダータカさん、締めに何かひとこと。この時期を振り返って。

ダータカ 実はその一回目の野音のとき、自分は泣いてたんですよ。感銘を受けて。

シライシ 初耳!

ダータカ 誰にも言ってなかった。

JxJx 泣いてたのはそこか! 契約が切られるから?(笑)

ダータカ もしかしたらそういうのもあったのかもしれない(笑)

JxJx いろいろドラマを感じてたからか……、って、それ社長の思うつぼだよ(笑)

ダータカ 次の野音のとき、自分は泣くのかどうかも含め楽しみですね。

―では、ハットリさんはどうですか?

ハットリ ……え、(質問)何でしたっけ?

JxJx ちょっとハットリくん、このパートのメインゲストですよ!(笑)

 

一同 (笑)

―最高の答えいただきました。では、パート3へ行きましょう!

Part 3

超大河ドラマ的に続いてきたYSIG対談シリーズもいよいよラストです! 最後はYSIGに外側から招かれてきた強力サポート陣3名です! ではジュンくん、紹介お願いします!

上山悠二 (MU-STAR GROUP)、松井泉、ゴセッキー

はい、了解しました~~、それでは!

オン・VJ、上山くん from MU-STAR GROUP。映像もデザインも、手書きの絵も、なんでもイケちゃうスゴい人。たまに笑かしてくれる作風も完璧。そして気づいたら急にベルリンも行っちゃったりとか、動きからも目が離せない。あと自宅の部屋がスゴくカッコ良くて、あれはいつでも遊びに行きたい(笑)。そんな素敵な後輩が上山くんです!

続きまして、オン・パーカッション、松井泉。2003年あたりに初遭遇。初対面にも関わらずなぜか極端に仲良くなる。で、巡り巡って、現在毎週のように一緒に音を出してますが、どうも、こうなるのは必然だったのかもしれないと最近思ったり。ちなみにご本人の我々に対する第一声は「自分ら、ライブめっちゃよかったで」。年の差、7つくらい離れていたはずなのに!(笑)

最後は、オン・テナーサックス&フルート、ゴセッキー。言わずと知れた凄腕プレイヤー。我々が言えるのは「なんでもっと早くバンドに誘わなかったのか」これに尽きる(笑)。もうとにかくバンドにサックスの音が入ったあの時の興奮といったらなかったわけで。一時期は、サックスの音色が聞こえてきただけで、「あ! ゴセッキー!」っていう謎のノリが脳内に発生。80年代の曲とか聞くともう大変でした(笑)。

ということで、最後はサポートメンバーの皆さんです。しかしながら、こちらの気分としては、もはや正式メンバーであります。言うなれば、料金体系の違う正式メンバーの皆さんです!! それでは、どうぞ!!

Part 3

松井 なんか面接ぽいですね(笑)

―この超ロング・ヒストリー対談、パート3は、YSIGをサポートとしてさまざまな側面から支える3人に来てもらいました。まずは、YSIGとの付き合いとしてはこのなかでいちばん長い上山くん。MVやVJなどを担当してくれてます。

上山 もともと僕はMU-STAR GROUPっていうグループの一員としてカクバリズムには関わるようになったんです。だけど、高校の時にモーリスさんの作品集を見て、僕も美大を目指してたので、最初はそこからですね。

モーリス 僕の(イラスト仕事の)営業用のブックが、上山くんのお兄ちゃん(上山亮二)の事務所に置いてあったんだよね。

上山 そうです。モーリスさんは憧れの人ですね。当時は「こんなアナログな、パソコンに頼らない人がいるんだー」って思って、作風もかっこよかったし、すごく感化されてましたね。で、大学の時にMU-STARSの2人に出会って仲良くなって。卒業してからはピラミッドフィルムって会社で働いてたんですけど、そこでジュンくんが撮影してるのは見てましたね。

JxJx そうでした。ピラミッドフィルムは映像関係に進んだ大学の同級生が席を置いていたりで、そういう関係もあって、YSIG初期のMVでお世話になってました。

―あの海のやつ(「SUPER SOUL MEETIN’」2008年)とか?

JxJx あれに関してはピラミッドフィルム・オンリーではないですけど、たしか関わってたような。あと、一番最初のMVになる「GOOD BYE」のアニメも手伝ってもらってたはずです。YSIGの初期からメジャーの途中の時期ってちょうど、武蔵美の同級生やその後輩の人たちが、最初の就職先から独立していった時期で、例えばピラミッドフィルムからのディレクターズギルドっていう流れだったり、他にもいろんなパターンがあって、そんなタイミングでもあってか、ありがたいことに色々と力を貸してもらってました。余談ですが、あの沖縄の海に実際に潜って撮影のやつとか、あの荒唐無稽な感じは今考えるとよく撮影できたなと思います。貴重な体験させてもらって、ありがたかったですね。で、上山くんがピラミッドフィルム出身だって話を聞いて、これまた奇遇だな、と。

上山 そうですね。その頃から知ってて、いつの間にか仲良くなって。

JxJx そしてかなりの時を経てって感じですが、2013年の「The Cosmos」のMVを上山兄弟に監督してもらったという流れになります。あのビデオも完全に一発撮りで、演奏も当て振りじゃなくて、もう一回その場で一発録りする、そして、上山くんがそこにさらに凝った映像的なエフェクトを加えていくという大作なんですが、このタイミングで一緒にやれたのは熱かったです。

上山 MU-STARS GROUPが稼働しなくなって……(笑)。手持ち無沙汰になっちゃってたころに誘ってもらった、って感じですね。

―YSIGと仕事するときの上山くんの作風は、最初に影響を受けたアナログな部分にデジタルなやり方をうまく落とし込んでると思うんですが、自分ではその按配はどういう風に意識してるんですか?

上山 それこそ「The Cosmos」とかの時からYSIGのサウンドのムードがちょっと変わったじゃないですか。あそこらへんからデジタルの要素がちょっと入るのは、もしかしたらアリなのかな? と思ってました。すごいオーセンティックなものとハウスみたいなノリの両方があったんで、これなら僕も何かできることあるかなと。なのでデジタリックで高解像度のものというより、もうちょっとアナログ感のあるものを掛け合わせたら共存できるかなとは思いました。

JxJx 「OUT」のトレイラー映像も、MVと同時進行でやってくれてたんですけど。あれとかも、めちゃくちゃアナログとデジタルの融合みたいな感じでしたね。上山くんの家に行ったら、実際に自分たちのアー写の切り抜きが机の上に置いてあって、口がパクパク動く仕様になってたような(笑)。この手動な感じからのデジタル化、上山くん両方いけるんだ! 熱いな! と興奮したことを覚えてます。

上山 そうですね。なんかああいう感じが面白いかなと思って、どんどんデジタリックにしていきました。

―ちなみに、これまでYSIGで作ったMVで好きな曲とか、VJしててあがる曲といえば。どれですか?

上山 とにかくYSIGはVJするの超ムズイです。生の演奏に合わせて映像を当て込んでいくので、実際に楽器をひくというかサンプラーを叩くようにプレイするんですけど、構成を頭に入れてキモになる画がバシッと合うように心がけてます。それがめちゃ負荷がかかるのでプレイ中によくPCがオチますが(笑)。でも、そんなやり方なんでよく分かるんですが、毎回ライヴの演奏のBPMがまったく崩れないYSIGはほんとすごいなーと思います。  個人的に思い入れのある曲はMVも作らせてもらった「Double Sider」なんですが、VJしていてアガる曲は「ON」かな。音と映像がシンクロしたときにカタルシスがあって気持ちいいです。ライヴ全体でアガるパートでいうと「Nettai Boy」の次長のギターソロのあのかっこいいカッティングに「ミスター味っ子」みたいな安っぽい炎の映像を流すのが気に入ってます。もはやあそこだけ映像流せれば僕は満足かも(笑)

―なるほど! で、さっき上山くんが、アルバム『OUT』の時期にYSIGに起きた変化について語ってくれてましたけど、まさにその時期に重要なサポート・メンバーとして登場したのが、松井くん。

松井 僕が入ったのは、2013年の5月のライヴからですね。

JxJx そうでした!

―はっきり覚えてるんですね。

松井 そうですね、誘ってもらってすごい嬉しかったので、覚えてますね。なおかつ、その初ライヴの対バンがレイザーラモンRGだったので(笑)。「YSIGは今こんなとこ行ってんねや」って。

一同 (笑)

JxJx あの時のRG氏はマジで最高でしたね。ポイントとしては、ゲストではなく、対バンって形が重要!ってことで次の質問お願いします(笑)

―サポートという立ち位置だったのに、松井くんはアー写にもほどなく登場しましたよね。

松井 えぇ、皆さんが「(写真に入って)いい」と言ってくれたもんで。僕は最初「え、いいいんですか? そんな僕なんて」って感じだったんですけど、「いやいやどうぞどうぞ」ってなったんです。調子乗ってるなこいつとは思われたくないので、ここで言わせてください。僕がアー写に入ったのは皆さんの意向です、そこははっきりしておきたい(笑)

―ジュンくんとしては、なぜ松井くんに声を?

JxJx バンドが2010年以降どんな感じになるのか? メジャー契約も終わって、なんとなくやりきった感もあるなか、もしもこの先に次の作品を作るってなった時に、なんかバンド内の状況をフレッシュにしないとな、っていう気持ちが個人的にあったんですよね。で、これまでの雑多な感覚をそのまんま放出するみたいなところが限界にきてるなと思って、もしこの先も続けるなら、雑多な感覚のアウトプットは一箇所だけだ!っていう考え方を思いついたんですよね。そのきっかけが、ちょうどその時期にダンスミュージック、最初はベースミュージックで、次にハウスに開眼するみたいな流れが自分の中でありまして、このやり方だったらこの先もイケるかも……といった感じの、何かしらの手応えを感じたんです。で、そこにバンドの現状への打開策、または光明を見出そうとしていたところに……、そのころ僕らが新たに使い始めた練習スタジオに、パーカッションが置いてあったんですよ。結構目立つ感じで、カウンターの横にすごい場所を占領してて。それを見てたら「松井私物」って書いてあった。それで、「この松井って? まさかいーちゃん(松井の愛称)かな?」って思ってたんですが、そしたら、実際にそのスタジオにご本人が登場しまして(笑)。で、「いま何やってるの?」みたいな感じで近況を話つつ、その場では何もなかったんですが、それから数日経って、「そうか、ダンスミュージックってパーカッションいたら最高だろうな……、けどパーカッションって実際に荷物多いし大変だな……」なんて思ってたところ、そういえば同じスタジオにいーちゃんいたな、と。で、パーカッションも置いてあった。ついでに、仲も良かったし、これはいいんじゃないか! ってひらめいて、ちょっと手伝ってくれないか、とメールした次第です。

松井 はい。メールもらいました。「この日空いてる?」って聞かれて「空いてますよ」って返したら、「YSIG手伝ってくんない?」って言われて、「えー?」って。YSIGといえばこの一枚岩の6人組じゃないですか? そんなところにサポートで入っていいのかな、ってすごい不安になりました。でも、ちゃんと皆さんで決めてもらったことだというので、喜んで引き受けました。

シライシ 我々にも(JxJxから)メールが来たんだよね。「松井をパーカッションで入れたいんだけど、どう思う?」って。

松井 ならよかった。

シライシ で、みんな返事しなかったんだよね(笑)

一同 (笑)

松井 誰もしてないんですか?

モーリス スルー……。

Zeeray うーん……。

松井 そこ、ふんわりさせないでください!(笑)

JxJx いや、ヒドいですね(笑)。と、冗談はさておき、それでスタジオに来てもらったんですよね。

松井 で、僕めちゃくちゃ気合い入ってて、自分の持ってる楽器全部並べてたんですよ。1時間くらい前に入って。

JxJx 要塞みたいなやつね。

松井 で、ジュンジュンさんがまず入ってこられて、楽器並んでるの見てまず爆笑してたんです。めちゃくちゃ気合い入ってるやんって。

JxJx いや~、これまた失礼な話(笑)

松井 それが今や楽器も持ってこないで、スタジオレンタルで済ますぐらいになってるという(笑)

JxJx たのみますよ、松井さん(笑)。でも、やってもらったら、「何でもっと早くパーカッションを入れなかったのか?」って自分でもむちゃくちゃ思いましたし、周りのみんなからもかなり言われました(笑)。で、ここにきてキャラも含めて、バンドにとってすごい重要な、足りなかったピースがはまったというか。

松井 嬉しいですね。

―パーティー・バンド感の中に、さらにお囃子感が入ったような。

松井 太鼓持ちなんで(笑)

―松井くんが演奏してて、いちばんアガるのはどの曲ですか?

松井 どの曲もよいですけど、「Double Sider」ですかね。ゴセッキーさんが加わって2管になるとテーマのパンチ力も凄いですし、いわゆるスカ・バンドやラテン・バンドマナーにおけるソロ回し的な部分もありますし、「今日はどんなソロかな?」ってところでワクワクします。ちなみに「Mood Mood」は、自分にとっては試練の曲ってイメージです(笑)

―いまも話に出ましたが、今回『Sessions』でもがっつりフィーチャーされてるゴセッキーさんは、YSIGのサポートってことになるといつからになるんですか?

ゴセッキー 2年前かな?

JxJx そう、2年前ですね。これまたゴセッキーもとんでもない入り方だったんですけど(笑)。THA BLUE HERBとの2マン(横浜LIZARD、2017年2月11日)っていうライヴが決まってたんですよね。そしたら、ハットリくんがインフルエンザになっちゃって、当日出られないって話になってしまって。で、さすがにこれはホーンがないと厳しかったので、どうしようかなと。ちなみに、ハットリくんから「出られない」って連絡があったタイミングっていうのが、ちょうど僕とモーリスといーちゃんでハウスバンドをやっていた『バナナ♪ゼロミュージック』の収録中だったんですよ。

ゴセッキー (楽屋で)お菓子食べてたよね。

JxJx みんなで呑気に食べてました(笑)。で、その連絡が来て「うわ~、これは一体どうしたものかな……」ってなったときに、目の前にゴセッキーがいた(笑)。トロンボーンとサックスで楽器の種類は違えど、手練れのゴセッキーならきっとうまくやってくれるだろうと思って、「……今度、ライヴでサックスを吹いてもらえませんか?」って。実はそのとき、ライブ2日前の金曜だったんですけどね(笑)

ゴセッキー (笑)

JxJx でも、「いいですよ」と言ってくれたんですよ。この状況で、よく引き受けてくれたなっていまでも思ってます。

一同 (笑)

ゴセッキー ぜんぜん自信なかったですけどね。日曜がライヴで、その前日にYSIGがレコーディングをしていて、そのレコーディングが終わった後、夜20時とか21時からちょっとリハできるって話になって。「じゃあすぐ曲決めてください」とお願いしました。

松井 いやー助かりました。

モーリス すごかった。

JxJx 本当にすごかったですね。そんなかなり無茶な状況にも関わらず、初ライブは見事に走りきってもらって。で、これがまた問題なんですが、僕らはそこで変な手応えを感じちゃったんですよね(笑)。サックスってバンド的にはめちゃくちゃ新鮮で。それでレコーディング中だったから、録音にも声をかけさせてもらって。ちょうど『Extended』を作ってるところで。せっかくなんで、ハットリくんとゴセッキーの2管で、ホーン・セクション的にやってもらおうと。そしたら、ハットリくんのトロンボーンとゴセッキーのサックスが、これまた結構合うね、なんて話で盛り上がって。

ハットリ そう。サックスとトロンボーンってそんなにない組合わせではあるんだけど。

JxJx そのない感じっていうのも面白かったし、これまでのトロンボーンのいい感じのユルさに加えて、サックスでバシっと輪郭を出してもらうことで曲が劇的にわかりやすくなった。で、いまは、基本的にはゴセッキーが空いていれば、いつでもやってもらいたいなって感じで、GO出来そうな時は毎回お願いしてる感じなんですよね。

松井 今度の野音もね。

JxJx もちろん、そうなりますね。で、ちなみに去年7インチでリリースした「Motion」っていう曲は、音源として参加してもらうのは2曲目になるんですけど、早くも急激にゴセッキーが占める割合が増えて、もう8割ゴセッキーの曲みたいな感じでお願いするという形になりました(笑)

ゴセッキー あんな長尺でフルートのソロ吹くとかやったこともなくて。ちょっとサックスの間でピロピロって吹くぐらいしかやったことなかったから、「やべーぞ、これは」ってなりました(笑)。忘れもしないのはサマーソニックであの曲を初めてやるっていうときには、めちゃくちゃ緊張して。しかもさっきのダータカさんの話とつながるんですけど、サウンドチェックは朝イチで誰もお客さんがいなくて。普段はまったくライヴでは緊張しない人で、手汗とかもぜんぜんかかないのに、あのサウンドチェックでフルート吹いたときは結構音が震えちゃってました。

モーリス そうだったんだ。

ゴセッキー PAの柳田(亮二)さんにも「ディレイで飛ばしまくってごまかしてほしい」ってお願いしてました(笑)。でも、始まったらすごいお客さんがいて楽しかったです。

―では、上山くん、松井くんにも聞いたのとおなじ質問です。YSIGで演奏しててアガる曲といえば?

ゴセッキー インストバンドで歌ものを挙げるのはアレなんですけど……、「The Love Song」が好きです!! ヴォーカリスト以外のミュージシャンが歌う歌って本職の人には出せない味わいがあるんですよ。「上手い」じゃなくて「旨い」みたいな!? かっこつけてない普段の人柄とか雰囲気が溢れるような歌が大好きで、あんなサックス吹けたらいいなと思う一曲です。

―パート3の3人は、YSIGにとって、新たな展開として必要だったピースをそれぞれ担ってるわけですが、逆に3人から見て、YSIGのキモになっているメンバーは誰ですか?

ゴセッキー ドラムの田中さんとベースのダータカさん! 2人の独特のグルーヴ感がYSIG独特の気持ち良さの秘訣なのかなと思ってます。ドンドンドンドンって田中さんのキックの上で、ベースのループがうねってる。そこにピュンピュンマシーンの音が乗っかってビルドアップしていくのを聴くと、「ユアソン、キター!」って気分になります。

松井 みなさんそれぞれキモだと思ってますが、同じタイコってところでタナカさんですかね。僕らがズレるとカッコ悪いですし(笑)。でも、タナカさんのドラムは物凄い安定感なんでダンスミュージックには持ってこいだと思うんです。タナカさんが支えてくれてることで、僕の自由度が増してると思います。

上山 曲ごとにキモになるメンバーが変わると思うので特定するのは難しいんですが、やっぱり各メンバーにスポットが当たる構成をしっかり作っちゃうジュンくんが本当にすごいと思います。ず──っとかっこいい人です。YSIGはリハもこれまで沢山見てきたけど、個々のメンバー誰も欠けちゃだめで、絶妙なバランスで均整が取れてるんだなぁ、といつも思います。あと番外編としていえば、VJしてるときは大体近くにPAのギダちゃん(柳田)がいるので、ライヴ中の仕事を見させてもらってるんですが、長年担当してきた安定感と信頼感がすごくて、知り尽くしてる感じ。盤石というか、20年かけて形成されたものって強固だなと思います。

―じゃあ、もうひとつついでに「YSIGあるある」といえば?

ゴセッキー メンバーが仲良し! 楽屋が明るい!! スタッフも明るい!!! 社長もいつも愉快!!!!

上山 僕は長年YSIGの楽屋を見てきましたが、メンバーが穏やかすぎて年々楽屋が静かになってきてるところですかね。

―え? いまゴセッキーさんは「明るい」って言ってましたけど(笑)

JxJx まだ知り合って数年のゴセッキーの前では明るくて、長年の知り合いの上山くんの前では静かになっちゃってるのかもしれない(笑)。っていや、「静か」って(笑)

上山 いぶし銀の静けさって感じですかね(笑)。去年のツアーで、楽屋に入ってきたスタッフが「ウワッ!」て驚いてて、なぜかというと、物音がしないので空室だと思ってドア開けたらメンバー全員いたっていう(笑)。20年続くこのパーティー・バンドは「言葉はいらない」の域に来てるんだなって思いました。この前、西荻のカフェで向かい合った席でお互いずっと黙って食事してる老夫婦を見かけたんですが、「YSIGとおなじだ!」って思ったんです。メンバー仲は向こう30年くらいは安泰だと思います。

JxJx 楽屋のくだり、むちゃくちゃですね(笑)。いーちゃんは?

松井 反復練習です。

JxJx そこか(笑)

松井 同じ曲の同じ箇所を各パートのアレンジをいろいろ試しながら何回も何回も練習するんです。お陰でその箇所はめちゃくちゃ上手くなります(笑)。でもこれがYSIGにとって1番キモになってる現象かもしれません。

JxJx それって、バンドがものすごく煮詰まっているときの現象だったりもするんですが(笑)。そういう意味では、いーちゃんには毎回練習に参加してもらうって形になっちゃってるので、けっこう色々と体験してもらってるんですよね(笑)。で、ゴセッキーにはまだ嫌われたくないので、今のところそういう体験はしてもらっていなくて(笑)。なんせ、まだ明るく振舞っているところなので(笑)。で、上山くんの場合だと静かになる、と(笑)。ただ、そろそろお2人にも体験してもらうかもしれないです、バンドでよくある「これって、この時間って、いったい何なんだろう?」ってやつ、「いっさい何も生み出せなくて終わる練習」とかを(笑)。

―それもYSIGの歴史の一部なんだ、と(笑)

JxJx そうなりますね(笑)。そんな感じを含めて、とにかくこの御三方にはこれからも、めっちゃくちゃお世話になる予定で考えてます(笑)。ただ、いろんな人と混ざることによってさらに予想もしないような展開が、その先が見えてくるってことは、ありがたいことに、この3人から教えていただきました。6人で力を合わせてうわーって行くのも良かったんですが、それはもう十分やったんじゃないかなと思っているので(笑)、この部分の伸び代はまだあるんじゃないかなと思ってます。

―20年から30年へ向かう道のりも面白くなるでしょうし。

JxJx そうなると良いですね。ここから先どうなっちゃうのか、かなりの未体験ゾーンなんですけど。ちなみに、30周年のとき、自分は……、55歳だった(笑)

―まずは20年目の日比谷野音ワンマン、楽しみにしてます! また30年目に集まって全員対談やりましょう!

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PROFILE

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REIJI “ZeeeeRAY” TANAKA(Drums)
HIROYUKI “DaaaaTAKA” TAKADA(Bass)
KOJI ”SHIRAISHI” SHIRAISHI(Guitar)
MASATOMO ”MAURICE” YOSHIZAWA(Guitar)
YASUHIKO “SHORTY” HATTORI(Trombone)
JUN ”JxJx” SAITO(Organ, Electric Piano, Leader)
IZUMI MATSUI(Percussions)
YOSHIHIRO GOSEKI(Sax, Flute)
YUJI KAMIYAMA(VJ)